こらむ

日本語  2017.11.01
名言とたわごと・・・

その違いは?

   日本人として生活して半世紀以上になりますが、意味不明な日本語が増えてきているように感じます。周囲の人との会話に困るほどではありませんから、意味を調べる気にもなるわけでもなく、まったくよその国の話と、全く無視しており何ら問題はないのですが・・・。
 
 よく有名人(成功者)の何気ない一言が「名言」として紹介され、その多くは、「なるほど・・・」と思える言葉が多いものです。
しかし、うろうろさまよっていると、これは面白い。また、いい表現だ。
と感心するような言葉を耳にすることがあります。ただ発言者がごく普通の人の場合、直接耳にした人は「ほ~」と関心はするものの。それで終わり。
  「成功者のつぶやきは明言だが、普通人の明言はたわごとで終わる。」 悲しいもんですね。
 
 最近、広辞苑の最新版が発売されるというニュースで、有名人の発した言葉が多く掲載されている。というのを聞いて、有名人が、多くの人が耳にする場面で多用し面白いと思える言葉であれば、一般の人々も徐々に使うようになり、いつしか普通の言葉として会話に使われる。
それが、羨ましいとは思いませんが。すごいねとは思います。
 
 成功者になりたいと思う気持ちはだれでも持っているもの。ただ、その程度は人それぞれ。私の場合、この町一番になることが今の目標です。もちろん、その範囲は広げていくつもりです。
何をもって一番というかも・・・・・よくわかりません。
言葉というのは難しいものだと、感じる今日この頃です。
2017年も、残り2か月。うかうかしてはおれません。
 

有難う。barby  2017.07.29
長い間付き合ってくれて本当に有難う。

2017.07.14早朝barbygirlが神様のもとに帰りました。

   2006.12.23。我が家に生まれて間もないボクサー犬がやってきました。 たまたま目にしたフリーペーパーに子犬差し上げます。という記事を見つけ即電話。忘れもしないクリスマスイブ前日のことです。
 
 ご近所さんのボクサー犬babygirl(ベイビーガール)とミックス犬のsmoocy(スムーチー)も同行してくれました。
 
 子犬たちと対面し最初に飛び込んできたので、「一緒に帰ろうか?」と言って我が家に来ることが決定しました。ほかにもかわいい子たちがいたのですが、最初にわが手に飛び込んだのでなんとなく気が合うような気がして・・
 
 到着したその日から前々からこの家に住んでいたかのような大きな態度で、遊びにやってくるベイビーガールやスムーチーを抑えるような子でした。それから約1ケ月後ベイビー達は引っ越してしまいました。
名前がBarbugirl(バービーガール)と決定したのも、Babygirl(ベイビーガール)にrを1個追加して命名したものです。
 5年ほどご近所さんだったベイビーガールたちが転居する話を聞いて、それからまもなく情報を得、クリスマスにやってきた。そして、ベイビーガール一家が去った後のさみしさをやわらげ、より一層楽しく過ごせたのはバービーだったのは間違いありません。
その時思ったのは、神様からのクリスマスプレゼントなんだと心から感謝したことは忘れません。
 
 その後、バービーとの生活はあっという間に10年。もともと大型犬は平均寿命はあまり長くないと聞いてはいたのですが、7歳8歳になっても元気で毎日のように公園に運動に向かうのが日課でした。
 自営業ということもあり、この数年は毎日車に乗って、どこに行くのも一緒。そんな生活を送っていました。
夜はベッドで横に寄り添って寝てくれました。時々、目が覚めると腕枕する高いびきのバービーがいました。
 
 2016年夏。後ろ足に力が入らないようになりました。その後徐々に衰えを感じりるようになり、前足だけで移動するようになっていました。寝るときも一緒でしたので、毎日30kg近い巨体を抱きかかえて二階に上り下りをする。そんな日々を過ごしてきました。
 
 元気なころのバービーは、外出先では、後部座席から運転席に移動して座りこみ、私が入った建物の玄関を凝視し身動き一つしないで待つ、その姿に驚いた人が近づいても一切無視。じーっと出てくるのを待ってくれました。
そんな姿をみたひとから「すばらしい犬ですね!」と言われたことがあります。そんなバービーは、本当に本当に最高の自慢の相棒でした。
 
 最期の日、目覚めたときに外をじーっと見つめる姿に気づき、いつもより早めに降りて、庭に出すと美味しそうに水を飲んでくれました。室内に戻り、最後は私の足元にきて横になってお漏らしをし、眠るように神様のもとへ・・・・
一瞬は、名前を呼びましたが・・・もう、起こしませんでした。本当は起き上がってほしかった。しかし、よく頑張ってくれた。もうこれ以上こんなどうしようもない奴のお世話することもないんだ、ゆっくり休んで・・・・・・・有難う。有難う。ただただ、有難う。心から感謝しました。
 
 もう自由に行きたいところへ行っていいよ。食べたいものも我慢しなくていいよ。たまに夢にでも出てくれたら・・・会えなくても我慢するよ。
 毎日毎日どこに行くのも一緒だったので、拍子抜けしていますが、まだまだ頑張らないと。
 
 本当に本当に有難う。あなたが来てくれたクリスマスがもうすぐです。
神に感謝。

 


ほとんどごみ  2017.05.24
買うものすべてごみ?

あなたが購入したもののなかでゴミにならないものってありますか?

   以前からずっと思い続けていたのですが、身の回りのもので「ゴミ」でないものはあるの?
 ほぼありません。購入してすぐは新品でその用途に合わせて使用していますが、一定期間を過ぎると壊れたりしてごみとなっていきます。
 
 昔、何も考えないまま住宅を購入しましたが、街の環境を統一することを目的として、二段植栽(前段に低木、後段に垣根)が建築の条件と言われ、植栽を高額な出費でお願いしました。
 
 当初は、根が付くかどうかを気にするし、春にはサツキが咲き、でうれしくもありいい気分でした。
ところが数年もすると、枝が伸びて歩行の邪魔になることも出てくるので、年に数回は枝をそろえる程度に切り落とす。その枝は「ゴミ」。
この行為を続けるうちに、ゴミの元を買って毎年ごみを出す。
なんて馬鹿なことをしたのか・・・そう思うようになりました。
 
 これは一例で、ほかにも洋服や靴などの「もの」は、最初はお気に入りですが時間が経過すると「ゴミ」として処分しています。
機械類でもなんでも、ゴミにならないものは買ったことがありません。
 
 物は大切にしましょう。
とはいうものの、買わないようにしましょうとは言えません。
みんなが購入を控えては、景気は悪くなります。
景気が良ければまだまだ使えるものも捨てて新しいものを買ってしまいます。
 
 しょうがないのでしょうか・・・・・なんでしょ~ね。
 

世界遺産
私は、「かくれキリシタン」の末裔です

なぜ「潜伏キリシタン・・・」なのでしょう?

   わが故郷「外海地区」を含む、熊本・長崎のキリスト教関連遺産の「世界遺産」登録が近づいています。
地元が大きく取り上げられ、有名になることには異論はありません。
過疎化の中でさびれゆく地元に何らかメリットを期待しております。
 
 ただ、今回の遺産候補に名乗りを上げた際に、「キリスト教関連遺産・・・」としていたものが「潜伏キリシタン・・・」と名を変えてたことに?
各方面からの指導なのでしょうか?。
「潜伏キリシタン」という言葉が翻訳する際にどう変換されるのでしょう。「かくれキリシタン」は翻訳できません。意味が違います。
「潜伏」は翻訳できても、本来の「かくれ」の意味が伝わる言葉は無い。と思います。
一言で表せないのが「かくれキリシタン」なのです。世界に「KAKURE」を広めてくれたほうが正しい世界遺産登録のように感じます。
 
 私は、母から先祖は隠れキリシタンであることを30年ほど前に聞かされております。
きっかけは、結婚を機にキリスト教に改宗する。という話をする際に、両親ともにカトリックネームを持っていることでした。
それは両親の親、すなわち私の祖父母が「かくれキリシタン」であった。ということ。
  両親が「オラッショ」というかくれキリシタン独特の祈りを捧げるのを耳にしたことはありません。また、ご近所にそれを信仰する人がいるかどうかも知りませんでした。
 
 ただ、地元の曹洞宗天福寺に「マリア観音像」が所蔵されている(最近知りました)。お寺にマリア様・・・これが「かくれ」なのだと思います。 「潜伏」という言葉で表せないのが「KAKURE」だと思うのです。今からでもなんとかなりませんか・・・
 
 地元の「出津教会:シツキョウカイ」が以前から有名なのですが、建物は美しくその大きさも素晴らしい。そこは自慢です。
ただ教会の美しさだけなら諸外国にある教会に比較すると・・・。
 本当に見てほしいと思うのは、教会などの建物ではなく、小高い丘の上に大きな教会が。
今でこそ、敷地内まで道路が整備され、 自動車が駐車できるようにているのですが。
100年以上も前に、人口も少ない、非常に貧しい人々が暮らした集落に建築された。その意味を感じてほしいのです。
 それが「KAKUREキリシタンの末裔」の願いです。
 

必要な無駄
無駄がすべてと言わないけれど

無駄は・・・

    世のなか、無駄をなくしましょう。と言われるけれど、食べ物などの「物質」は大事に無駄なく使い切ることは重要なことだと思います。
ただ、「無駄の無さ」は人の活動さえも奪うこともあります。
 
 ちょっと前まで、事務所内に多くの社員が机に向かって「そろばん」や「電子計算機」を片手に黙々と仕事していたことが懐かしい。今どきそのような風景は目にすることはありません。
今では、多くの仕事は「人」ではなくて「機械」が変わって行います。要員の数も極端に減少しました。
 
 無駄を省く。しかし、その無駄は本当に無駄?その無駄がなくなればあなたの仕事もなくなりませんか?そんなことが多いと思います。余裕を持てなくなった現代。多少の無駄は「遊び」だと思って目をつぶる?無理でしょうか?
 
 自分たちだけが早く気づいて無駄を省けば、その仕事をメインにしていた企業が仕事を奪われ衰退してしまいます。
自分たちの最大顧客がどのようにかかわっているか?衰退してしまう企業も、多くの製品を購入し、巡り巡って自分たちの製品を購入してくれる企業はいなくなる。
そんなことが起こる。・・・・
 
改善してすべての無駄がなくなれば、みんなが仕事を失う。かもしれません・・・

梅の花
梅が咲きそうです

梅に桜は咲きませぬ・・・

    庭の梅の木のつぼみが緩みつつあります。年明けから穏やかでほんのりと暖かな正月を過ごしました。元日からの3日これほど穏やかな正月は久々かも。
 
 梅の花は、近いうちに咲くでしょう。梅の木には桜は咲けません。季節も違うし。と馬鹿なことを考えますが。桜にも梅は咲けません。当然と思うかもしれませんが、人の場合は少し違います。
同じ人間じゃないか。人ができることは自分にもできる。自分にできることは人にもできると決めつけてかかる。そこが間違いの始まり。
自分にしかできないことは山ほどあります。人ができているからと無理してまねても無理な事は無理。そう考えれば楽ですよ。
 
 自分には自分の色があります。人の色をみて同じ色になろうとしてもなれません。人にも自分と同じ色になれと言ってもなれないのです。
梅はうめ。桜はさくらです。それが個性です。
そう思って、自分の思う道を進めば何かが見えてきます。それが見えるところまでいかないと見えないので悩むのですが、それがきれいな花を咲かせるための準備です。
今年もよい一年であることを・・・・・

目標管理
設定

追い込まれて決める・・・

   思い起こすと、小学低学年の頃の作文に「目の前の山を削って、その土を海の埋め立てに使えば広大な平野ができる。それを利用すれば・・・」というような事を記述していました。
 
 今になって思えば、小学生のころから「何かできんか?」をいつも考えていたのだと思います。しかし、当時想像していたことは何一つ達成できていません。とにかく漠然とした思い付きだけでは何もできない。ということです。
 
 数年前、さびれゆく故郷を見て一つの行動に出ました。yahooショッピンッグに「外海商店:ソトメショウテン」を開店。黙って故郷の消えゆく姿を見ていることはできぬ。自分にできる何かを始めよう。
ただ、それだけの単純な思い。2016年末になってやっとリピーターのお客様が増えてきました。
 
 記憶すら不明瞭な時期に考えていたふるさとへの思いが何かぼんやりと見えてきたように思います。独りよがりの思い過ごし。と笑われるかもしれませんが、実行している本人は必死です。とにかく若くはありません、追い込まれて頑張るのが自分。
この性格はどうにもこうに・・・
自分の家庭もしっかりと維持しなければならない。そこが一番大事。
ただ、目標を持つことができています。何とかその目標を目指して今年も頑張りましょう。何とかせにゃいかんですから・・・・・・・

数値化の真偽
どの数字が正解?

数値化されたものは信じられる?

     よく数値化して説明をする場面を見ます。ただ、数値の正確さやその「値」の大小はどこまで信用できるものなのでしょうか。
 また、よく気になる○○の支持率が上がった下がったといわれますが、何を見て誰が回答した答えを集計したものなのでしょうか。短期間で支持率や不支持率がどうのこうの言っているのを見て、なんだろね?と首かしげています。
 
 私も、以前インタビューの要請を受けたことがあります。しかし、質問内容を聞いて自分にはほとんど関心がない内容であったため回答を拒否して仕事に戻りました。
自分だけの独断ですが、色々なアンケートに答える。という行為を受ける時点で、回答する人の考えがどちらか極端な人は答えるでしょうが、やや賛成・やや反対の人の場合、本音は言わない?と考えてしまいます。
 
 当然、統計学など難しい学問をもとに数値の正当性を言われるのでしょうが。その数字が出たからどうするのですか?と考えたとき、その調査結果を公表する意味は何?と思うのは私だけでしょうか?
 
 数字の奥に、本質が隠れてしまうこともある。そう考えて公表された数値を読み解くことも大切なことだと確信します。
 
ちなみに、私自身はいろいろな数値に惑わされるのがいやですので、できるだけ見たくはありません。見ても信用していません。 自分が見て感じたことが一番。
ただそれだけ。

顧客満足
顧客満足の向上?

何がいいの?

   
 「顧客満足向上」を目指す。非常にいいことです。ただ、世間を見渡すと、これが満足につながる?と疑問に思うことも少なくありません。お客が企業や店舗に出入りする際に異常と思えるほどの挨拶。過剰なサービスがそのまま顧客の満足感が上がる?
 私には、そうばかりとは思えません。過剰すぎるとわざとらしさを感じてしまうように思います。適度が一番。適当と適度を間違えるのもよくありませんが、適当なサービスでいいと思います。優しさも度が過ぎればただのお節介。嫌がれるのが落ちです。
 
 そんなことを思いつつ、自分が「顧客」になる場面を思い出しても、大昔にその立ち位置にいる自分は消えています。買い物はネットで済ませ、店に入ってもコンビニのコーヒー程度しか購入する機会はありません。生活するうえで売る側の立場でいるほうの時間がほぼ9割、客としてサービスを受ける時間などほんの少し。
 
 一体どこの誰が一番顧客満足を感じているのでしょう?そんな人に会ってみたと思う今日この頃です。

食料自給率
国内の自給率は?

本当は?

   この頃、食料自給率に関して考えることが多くなりました。地元の農業従事者は、ほとんどの方が跡取りがいないと寂しそうに話します。年齢も60代以上、これは日本全国の農業従事者の平均年齢とほぼ同じ、そんな世代の人々が細々と生産活動を続けているのが九州の西端の地の現状です。
 
 よく、食料自給率が約40%云々という数値を目にします。しかし、この数値どのようにはじき出されたものか?このぼんくら頭には見当もつきません。廃棄される量は相当あるかと思われます。それらは、どのように反映されているのでしょうか?
 
 また、輸入される様々な食品があることで先ほどの数値が出るというのであれば、それらが全くないものと仮定したときはどうなるのでしょう。さらに、今どきの農家で牛や馬を使って、人力で作業をすることは見かけません。それほど機械化が進んでいます。
 それらの材料や燃料がないなら・・・そんなことを考えていくとこれから先の日本の食料自給率はどう推移するのでしょう。
 
 だまってみていれば、確実に生産量は減少するでしょう。それを止めるには、農業の魅力と収入の拡大が必要だと考えます。具体的な良案もありませんが、ここらで何か手を打たないと。そう考える毎日です。

時々思うこと

 この年まで生きていると、色々な経験をし知識を増やしてくるものです。今まで蓄えてきたそれらを自分の中に収めてきました。しかし、たまには自分の考えを多くの人に発信してみたい。と馬鹿なりに考えました。そこで、このコーナを開設したのです。
 多くの方から見れば、なんと浅はかな。ということばかりでしょうが、あくまで本人の個人的な見解を述べる場です。広い心で、お読みください。性格は非常にナイーブなもので、批判的なことはぶつけてこないことをお願いします。