事実は
ニュース
世の中には、日々新しい「事実」が生まれてきます。その内容は、周囲に愚痴る程度の事や近所で話題になる程度の他愛のない事象があります。さらに、多くのメディアが報道する、大事件まで様々起こっています。世界中に80億人が活動していれば、膨大な数のニュースが生まれてくるのは当然です。その重要度が、高いか低いかだけです。
新聞とテレビ
私は、5年以上前に新聞の購読は止めました。また、ここ数年は、テレビの視聴時間も大幅に減少しました。楽しく見れる番組だけを選択し、それを録画して楽しんでいるような状況です。なぜかと言うと、多くのメディアは「事実」を伝えてくれます。以前は、興味を持って見ていた時期もありました。しかし、大きな出来事があると、全報道機関が、一斉にその件を毎日繰り返し報道するのです。そこから一定の時期が過ぎると、何もなかったかのように全く報道しなくなります。何も解決していないんじゃないですか?と、気にはなっても一切取り上げてくれない事にモヤモヤが残るだけです。
噂と記憶
「人の噂も七十五日」と言うことわざがあります。世間の関心が徐々に薄れ、忘れられてしまう事も有るでしょう。例をあげると、大騒ぎになった化学物質(ダイオキシンなど)の件はまったく耳にしません。偽装問題も、時々発生しているようです。ところが、報道で見聞きすることはほぼありません。企業のサイトなどで「お詫び」などが目について知る程度。であれば、最初に報道するのは良しとして、大騒ぎする事ではなかったと言う事です。
知識への欲求
ヒトが、事実を知りたいという欲求があるのも理解できます。若き自分自身もそうでした。様々な知識を吸収しようと、ニュースや新聞に関心を持っていました。情報を入手したという欲求は、他の人以上に大きかったと思います。それが、ここ最近変化が出てきました。事実を知って、自分が何かを変えられるか?と思った時に、自分には変化を起こす知力も財力も、さらには体力もない。と言う事が分かりだしてきたのです。必要なことは、積極的に知ろうしなくても、黙っていても聞こえてくるものです。また、見たくないのに見せられるものだと。感じてしまうようになってきたのです。
ストレス
65年も生きていると、その期間の情報が蓄積されているのです。ところが、その殆どは思い出せない記憶です。それこそ、潜在意識と言われる無意識のレベルには残っているのかも分かりませんが、昨日の出来事すら記憶が不確かな老人。これ以上の知識は入っても、そのまま聞き流し状態になるだけです。瞬間だけ、その内容に怒りを感じるので、ストレスの原因を増やすだけだと感じます。
最後に・・・
「見ざる聞かざる言わざる」は、昔からの言葉。現代に比べればその情報量は想像できないほど少なかったはずです。それでも、この言葉が生まれるのは、そんなに知る必要は無いのでは・・と思うのです。最後まで読んでいただき有難う。何か感じることがあればコメントください。何もできませんが。