新聞とテレビ

新聞購読を始めたのは、結婚を機に営業担当者の訪問がきっかけです。営業ツールに気を引かれて購読開始し、契約満了時期が近づくとさらなるプレゼントを持参してくるのです。

特別に購読を止める理由が見つからず、そのまま数十年ほど続けてきました。

しかし、ある日気づいたのです。実際にはほとんど活字を目にせず、テレビの番組表以外には殆ど役立っていないことに。

広告を含む大量の紙も当然として受け入れていましたが、経済的に見ても継続するのはムダだと判断し、購読を停止しました。

購読を止めると、何か物足りなさを感じることもありました。ただ、それもしばらくして慣れてしまえば気にしなくなりました。

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同様に、最近はテレビの視聴時間も大幅に減少しました。特に報道系の番組はほとんど見なくなりました。視聴するのはバラエティー番組が中心です。それもほとんど録画し、時間が空いているときに見る程度です。CM部分は早送りしてしまいます。ですから、最近の流行などに疎くなっています。

それよりネットでお気に入りのサイトを調べて欲しいものを探す方が楽しいと感じます。

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報道番組については、辛い映像を見たくないという気持ちがあります。起こったことは知っても、追加情報を得て、何かのアクションを起こせない自分がいて、追加の情報を見たくないのです。

災害の映像も、必要性は感じますが、自分の知力・体力・財力では何もできないことに悔しさを感じるだけなのです。

また最近の報道で、事件関係者のインタビューが放送されることがあります。実際に起こった事象を報道することは必要でしょう。しかし、その関係者のコメントが必要かどうかについては疑問を感じます。カメラ映像に対しても思いがあります。暴動の映像を映し出されていても、背後には全く違う風景があるのではと、思います。

大きな話題も数年後、数十年後には「実はあの時の話は…」ということが多く、世間に知らされることが全てではないと感じています。

インターネットの普及で情報の入手手段が変わり、新聞やテレビの見方も変わりました。ネット記事は、迅速ですが正確性に欠けることもあるようです。詳しさでは新聞やテレビが勝る部分もあります。しかし、インターネットの通信料金は新聞やテレビとほぼ同等であり、ネット情報には真偽不詳の記事も多く存在するのを承知で見ているのも事実です。

真実への欲求は勿論あります。しかし、事実や事象を知りたいだけで、その詳細を知っても何も対処できないので、見ない・聞かない方が良いという考えに至ったように思います。

今後もこの状態が変わらないかと言うとそうでもないと思います。状況が変われば、どこから情報を入手するかも変わるはずです。いまや、SNSの情報量は黙っていても矢継ぎ早に入ってきます。四方八方からCMが来るので、これにもいつか嫌になる時が来るのだろうとも思います。

人間ですから、新しい事には興味がわくのは当然です。しかし、慣れてくれば、次の新しいものに移行するものです。ただ、なぜこんなに目まぐるい変化に目を向けるのでしょう・・・。

他にすることが見つからないからでしょうか。やるべきことはたくさんあるのに・・・

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